ストレスというと、自分の意に反して、自分に襲い掛かる嫌な圧力を想像すると思いますが、正確には、本人の内部の心理現象であって、外部のせいにするのは違うと思います。
私の娘は、小さな頃からピアノを行っていますが、ピアノ発表会で演奏をする姿を見ると、見ているこちらのほうがドキドキ、ハラハラして今にも心臓が破裂しそうなくらい緊張してしまいます。
先日のピアノ発表会の時も、途中で間違えてしまったら、娘は頭が真っ白になってしまうのではないかと見ていられませんでした。
ところが、当の本人は、慣れているせいか、以外にもケロッとしているのです。そして、「間違えるようでは発表会に出られない」とまで言い切り、自信に溢れているのです。
自分の娘でありながら、本当に緊張しないのかと不思議でなりませんでした。
すると娘は、「緊張はするけど、このドキドキ感が良い」と言うのです。そんな娘の親である私ですが、とても真似することはできません。
恐らく、娘は、緊張感をストレスとは捕らえていないのだと思います。小学校6年生の娘には、ストレスの意味すら判らないのか知れません。
しかし、ストレスの意味は判らなくても、現に「緊張はする」と認めているのですから、通常の心理状態ではないのは間違いありません。
緊張するということは、「失敗しないようにしよう」とか「練習の成果を出し切ろう」とか、あるいは「家族に良いところを見せたい」などの気持ちが混ざって、成し遂げようとする精神的圧力を感じるのだと思います。
私たちは、一般に、そのことをプレッシャーと呼んでいます。
プレッシャーとは、精神的な圧力のことです。時には、自分一人で解決しなければ成らない問題への責任や、周囲の期待に応えなければならないとする重圧など、何れにしても事を成し遂げなければならない押しつぶされそうな圧力です。
このような圧力を受けると、当然、ストレスを感じるはずです。しかし、プレッシャーとストレスとは全く意味が違いますし、現に、プレッシャーを感じている人が、そのことをストレスだと言う人はまずいないと思います。
ストレスというには、プレッシャーという外部的要因によるものではなく、自分の内部的要因に起因するものです。
物事をやり遂げる責任の重圧は、人によってストレスと捕らえることもできるし、プレッシャーと捕らえることもできるはずです。
イメージや一般的な考え方として、ストレスは後ろ向きであり、プレッシャーは前向きな重圧であると区別することもできるでしょう。
そして、もしやるべきことが仮に上手く行かなかったらと考えると、そこにはストレスもプレッシャーも関係なく、ただ悲観的な感情であり、どちらであろうとも精神的ダメージを意味するようになります。
新しいことを始める時や、変化しようとする時には、上手く行くだろうかという不安が過ぎるのは当然なことです。
しかし、その不安や、あるいは少し進めてみて中々前に進まないことへの不満を感じてしまうと、希望が見出せなくなり、暗いトンネルに入ったような気分になるのは間違いないでしょう。
しかし、ものは考えようです。これが失敗しても死に直面するようなことではない限り、再び、通常と同じ朝を迎えます。
どんなにプレッシャーやストレスで眠れなくても、またその逆にぐっすり眠れたとしても、必ず朝はやってくるのです。
プレッシャーは、他の圧力で、その事を成し遂げなければならない重圧です。それに対し、ストレスは、同じの重圧でありながら、他ではなく、自分の内面に表れ、進もうとする力を止めさせようとし、その結果、自ずと失敗を誘引している現象でもあるのです。
簡単に言えば、プレッシャーは応援団として自分の見方になるが、ストレスは自分の敵であり、失敗に導こうとする悪魔であるのです。
悪魔が自分の心に入り込むと、もう心の中は悪魔の言いなり、悪魔の思う壺となって、見事に失敗します。
まんまと悪魔にしてやったりの状態になったにも関わらず、悪魔というストレスに犯された人は、もう同じ失敗をしたくないと、逃避行動が生まれるのです。
そして、その結果の全てをストレスのせいにするのです。
しかし、ストレスが原因とされる様々な精神状態、時には胃痛などの肉体的心労は、誰かから押し付けられたのではなく、自分が向かいいれたストレスのせいであり、もっと言えば、そのストレスは自分の意思そのものなのです。
ストレスは、内部要因であり、プレッシャーは外部要因です。その内部要因であるストレスは、自分が生んで、自分が呼び寄せ、自分の心の中に住まわせたのです。事の始まりは、ストレスを感じたところから始まっているのです。
なぜ、同じ仕事や責任感であるのに、プレッシャーではなく、ストレスと感じるのでしょうか。
何度も繰り返しますが、誰でも始まる前は、緊張すると、もしかすると失敗するかも知れないと思うのは当然です。しかし、そこから先が、ストレスと感じるのか、プレッシャーと感じるのかの違いなのです。
私のような経営者の場合、自分のことより、自分以外のことまで考えなければなりません。時には、自分を犠牲にしても、会社全体を優先しないといけないと思うこともしばしばです。
ですから、自ずと、私に及ぼす圧力は、自分や家族のような内部より、社員や会社と言った外部からの圧力を感じ、それがすなわち責任感としてプレッシャーとなるのです。
もしかして失敗したら自分の生活が厳しくなるだとか、誰からか叱られるとか、自分だけに訪れるものであれば、それはストレスと言うのでしょう。
このことは、オリンピックに出るような最優秀なスポーツ選手を見れば判るはずです。私たちのような凡人は、負けることにストレスを感じるだけですが、オリンピックにでるような人は、日の丸を背負ったプレッシャーを感じるのです。
これは、次元が、自分個人か、自分を取り巻く環境かという違いなのです。少し言いすぎかも知れませんが、ストレスを感じているうちは、まだ楽なほうです。プレッシャーに比べたら、その重圧の重さは計り知れません。
ストレスであれ、プレッシャーであれ、それを避けようとすることはできないでしょう。逃げも隠れもできないはずです。ならば、それをどう受け止めるかなのです。
少なくてもストレスと感じているようでは、良い結果が出ないことは間違いないことでしょう。
(次回に続く)
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