活用と利用を同意語として使うことに抵抗を感じます。利用という言葉には、周囲を蹴落とし、出世やのし上がることばかり考えている人のような響きがあり、それと活用とを誤解して用いることに違和感があるのです。
活用上手な人が、結果として出世するのは事実です。出世すれば、それは下からのし上がったことになるのも事実です。しかし、姑息な手段を使ったり、周囲を蹴落とそうと、誰かを騙して利用するようなことと一緒にするのは間違いなのです。
ただ、活用と利用とを誤解して受け取った人に対し、このような文章の中で、単語の意味を取り出して説明することは、全く意味がありません。そればかりか、それを用いる、発信する側の誤解されるような表現や、文章力の乏しさのほうが、問題なのでしょう。
まだ文章なら説明もできるし、読み直してもらうことも可能です。しかし、これが口頭での発言となるとそうは行きません。
このことは、組織のリーダーにとって、とても重大なことです。
組織のリーダーというのは、伝えることが仕事の中で、大きなウェートを占めます。より上位のポジションに行けば行くほど、伝えることが仕事となっていくのです。
時には、その相手が提携する際の交渉先であったり、あるいは重要な顧客への対応であったり、さらには社員へのメッセージの発信だったりします。
どのようにしたら、如何に自分の言いたいことが、正しく伝わるかを考えなければなりません。できるだけ誤解されずに、それでいて、印象に残ったり、気持ちに響くような心を伝えることも重要です。
正しく伝えることは簡単ではありません。
言葉も十分に通じない外国人なら尚更でしょう。このことは、海外に行って、通訳を通じて交渉する際などでも痛感するはずです。
私は、毎月のようにベトナムに行っていますから、ベトナムでの交渉の難しさは十分に感じます。しかし、それは、言葉が通じないからだというのとは全く異なります。
先日私は、ベトナムで大きな契約のための交渉に挑みました。二日間、数時間に及び交渉
です。
このような長い交渉に関しては、私は何とも思いません。自分でも言うのも変ですが、交渉に関しては、極めてタフな部類の人間だと思います。
少し脱線しますが、このような長い交渉時間のことを想定してとまでは言いませんが、日々このような場面を意識していることはありません。
それは、自分の体と頭を長時間の交渉にも耐えられるように訓練することです。そのために、私はもう何年も前から昼食を抜くようにしています。しかも、ほとんどの日は、朝食も抜いています。つまり、夕食のみの一日一食で生活しているのです。
初めて昼食を抜くと、お腹がぐー、ぐーと鳴るのが判ることでしょう。そして次に、頭に栄養が行かないのか、頭がクラクラするかも知れません。さらには、気分が悪くなり、もうその頃は何も考えられない状態となっていることでしょう。
このようなことを皆さんに勧めるようなことはしません。これは、あくまでも自己満足の世界なので真似しないで下さい。
私は、これまでチェコやポーランド、カンボジアなどの内戦があった国々に行ったことがあります。さらにはミャンマーやバングラデシュなど最貧国にも行きました。
その中で飢えと戦う人々や、アウシュビッツなどに強制収用された人、手足を切り落とされたり、殺された人の様子などを知りました。
その中で、空腹という一つのキーワードが、争いを生んだり、戦争になったり、人を殺したりするのだという実感を持ったのです。
そして人間は、現実的に空腹になると、自分ではコントロールできなくなるほどまでに、凶暴になったり、あるいはその逆に全く気力がなくなったり、さらには動くことさえできなくなってしまうのです。
このようなことは交渉の場面でも表れます。交渉という真剣勝負をしている時に、どちらが先に空腹を感じ、休憩を申し出るかというのも、交渉時の重要な一つにもなってしまうのです。
相手が空腹を感じてくると、イライラしたり、早く切り上げたくなったりします。もうどうでも良いと思ってくるかも知れません。妥協もしてきます。そして頭も回らなくなってくることでしょう。これで交渉が有利に運ぶはずがないのです。
これが、本当の交渉という姿です。
このような話をすると、「そんなことまで考えているのか」と冷徹な人間に思われるかも知れません。
しかし、交渉と打ちあわせは全く違います。交渉とは、一歩も譲れない状況下で、如何にそれぞれが譲歩を引き出し、合意するかの真剣勝負なのです。
社長のような立場であれば、交渉が決裂すれば、場合によっては会社の存亡に関わることだってあるのです。
もしそれが国のリーダーであれば、それこそ交渉次第では戦争の道に入ってしまうことだってあるでしょう。
カンボジアのポルポトなどは、空腹になると、イライラして耐えられないほどの人だったというようなことを聞きました。恐ろしいほどまでの大量虐殺をしたのも、リーダーが忍耐強くなく、イライラにより、何も考えられないような状態だったのかも知れません。
さて、ついでに交渉について、もう一つ大切なことを知る必要があると思います。
それは、やはり特に国による違い、国民性や文化、制度による違いを理解するということです。
例えば、ベトナムでは、最初からまともな情報を出してくれません。最初に言っていたことと、途中で内容が変わることなど茶飯事です。それを一々、怒っていては相手の思うツボなのです。
相手が真剣に交渉するつもりがあるのか、途中で投げ出すのかを見ているのです。だから、日本人のような神経質で完璧を求めるようなやり方は通用しません。
最初から、枝葉の話をしても意味がないのです。しかし、多くの日本人は、細かい点も含め、全てを完璧にしようと考えます。落ち度がないように、注意深く、神経質なほど細かい点まで確認しようとするのです。
日本では間違っていないことですが、それがそのまま世界で通用するかというとそうではないのです。大まかなところを合意して、細かい点は、信頼関係を構築した上で阿吽の呼吸で行うという考えがあるのですから、それを無視したら上手く行きません。
(次回に続く)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――