楚の国に盾と矛とを売る武器商人がいた。「この矛はどんなものでも貫く鋭さだ」、「この盾はどんなものも防ぐ堅さだ」と言っていた。「その両方をぶつけるとどうなるかね?」と問われ、答えることが出来なかった。矛盾の語源である。
私は、常に自分の矛盾と葛藤している。
例えば、私は『オンリーワンよりナンバーワン』の中で『規模の拡大より質の向上を重視する、売上よりも利益を重視する、経営と執行の役割を明確化する、この3つの事業方針により、私たちはナンバーワンよりオンリーワンを目指す、とある。立派に掲げた事業方針だが、実態とそぐわない。』と書いた。
オンリーワンという言葉の響きは良い。規模の拡大よりも、小さくてもキラリと光るオンリーワンを目指すという思想は決して間違いではない。
しかし、自分の胸に手を当てて真剣に考えてみると、キラリと光る世界でナンバーワンのサービスと言いきれないことに気付く。ナンバーワンという言葉の響きが、オンリーワンよりも露骨で、ハングリーに感じる、スマートでない。
ナンバーワンであれ、オンリーワンであれ、どちらでも一番であることに変わりないのに、規模を表す印象が強いナンバーワンを正々堂々と口に出せないのである。
心の中では、この製品を世界一にしたいと思っていながら、実際には世界一になれないことを悟り、オンリーワンという言葉にすり替えるだけ。まさに『負け犬の遠吠え』である。
私は、このような心の矛盾と葛藤している。
しかし、人間とは、実に矛盾に満ちた動物である。
言っていることと、やっていることが矛盾するばかりではなく、昔言っていたことと、今言っていることが違ったりする。部下の時に言っていたことと、上司になってから言うことが違い、立場が変われば、考えも変わったりする。
それを信念がないからだと批判するのは簡単だ。
このブログには、多くの批判が寄せられる。実に正論的で、鬼の首を取ったが如く批判する。私のこの文体が厳しい口調だからこそ、余計に批判するに値するのであろう。
トップに立つものは、常に批判にさらされる。当然なこととだ。批判の窓口のためにトップがあるようなものだ。つまり、強い者、権力があるものほど、批判の矛先が向けられるのである。それは否定しない。
だが、批判する人は、批判するに値する行為、人間性を備えているのだろうか。
矛盾している。
強い者が、弱い者に批判される時、批判する側は名を隠し、匿名を用いることで、強力な武器を持つ。強い者よりも、もっともっと強くなれる瞬間だ。その武器を手に入れた側は、堂々で批判し、強い者を引きづり下ろそうとする。
矛盾している。
匿名の相手に抵抗することもできず、一方的に非難を受ける。それも強い者の宿命だから仕方ないとしよう。
だが、その匿名の人間は、人を批判するほどに、立派な人間なのか。立派ならなぜ匿名という武器を持たなければならないのだろうか。かつ、何のために、わざわざ批判するためのコメントを投稿するのだろうか。私に、私の考えの問題点を気付かせようということか。
それとも暇なのか。
またこのように書くと、ここぞとばかりに喜んで批判する人もいよう。私は、それでもそれを百も承知で書いている。正々堂々と名前を出して。
それでも批判する人は減らないであろう。それも織り込み済みである。なぜなら、人間は、矛盾だらけの生き物だから。
だから人間は、悩み、苦しみ、あるいは矛盾しないように努力しようとする。
言っていることと、やっていることが矛盾してしまったとしても、またそれを反省し、矛盾しないように心がけようとする。矛盾と葛藤し、矛盾の解消を目指すことが、人間の成長になる。
それを、矛盾と知りながら、あるいは矛盾していることに気付かず、矛盾を解消しようとしない人間は、成長しない。
私は、偉そうなことを言ってと思われるかも知れないが、自分を偉いなどと思ったことなどない。そして、偉そうなことを言ってと、自分のほうが偉いという批判もしたくない。
さらに、私は、自分の考えに矛盾がないか葛藤し、矛盾だらけの情けない姿を戒めようとしている。人間は、矛盾だらけの生き物であることを自覚して。
自分は、何ら矛盾したことはないという人はいようか。
私は、とてもとてもそのような人にはなりきれない。矛盾に満ちた自分から、一つの矛盾を解消するにも四苦八苦している様だ。
だから多くの批判を受けるのであろう。矛盾に満ちた姿が憎いのであろう。それなら、甘んじて批判も受けよう。それは、私の姿だから仕方あるまい。
ただ、自分も矛盾だらけの生き物であるに過ぎないことを知ると、自分が矛盾したことをされても、それは必然的だと受け止められるようになる。人間は、矛盾した生き物なのだから仕方ないと。
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