責任の重さは、上位になるほど比例して重くなる。さて責任とは何か。私は、責任とは、未だ見ぬ未来に対して、過去、現在よりもより良くする、あるいは悪化させないということに対し、コミット(約束)することだと思っている。
つまり、未来という将来どのようなことが起こるか判らないことに対して、自分の力量、能力に照らし合わせ、見通しを持って、受け入れることである。
その観点から言えば、自己責任というのは、未来に何が起ころうとも、自分で、見通しを持って、他人のせいにせず、自分の問題として受け入れるということである。
こう考えると、いかにも自己責任というのも重いことが判ろう。
さて、私は、責任を端的に言えば、未来への約束と答えるだろう。
そして、責任を持つというは、あるの事柄、事象、内容に対して、未来に対し、太鼓判を押す、保障することを受け入れることである。
そして、責任を負うとは、あるの事柄、事象、内容に対して、未来に対し、過去、現在よりもより良くする、あるいは悪化させないということを受け入れるということである。
そして、責任を果たすとは、責任を持つ、あるいは責任を負うと約束したことに対し、着実に、確実に、諦めずに、途中で投げ出すことなく、遂行することである。
責任とは、現時点で、未来に対し約束することだ。未来に対して約束することだから重いのだ。
恋人と出会い、結婚する。生涯に渡って愛し、幸せにすると約束する。これは、まさに将来という未来に約束することである。実際には、どんな未来が訪れるのか判らないのにだ。
それになのに、約束できなければ結婚できない。約束を破れば、離婚する。責任とは、そういうものである。
何が起こるか判らないことに約束する訳だから、責任の大小、重さに関係なく、責任を受け入れることはとても厳しいことなのである。
しかも、誰しも未来に対して、保障することなどできやしない。しかし、それでも、それをしなければならないのは、その地位にある人がそれを受け入れなければ、未来が開けないからである。
言い換えれば、未来を開くことを責任とも言えよう。
誰しも未来に対して、保障することなどできやしない。だから、その地位になければ、責任など負いたくないと考える。そんな危険な道を歩きたいと思わない。言い換えれば、それは、責任から遠い存在の人のことである。
責任から遠い人は、時に言う、責任を取れと。責任から遠い人ほど、軽々しく責任を口にする。それは、責任から遠い存在にいるから、責任の重さを認識できずにいるにも関わらず、その逆に最も責任の重さを痛感している責任を取る立場にいる人に対し、責任という武器を投げ掛けることで、追い込もうとするからである。
責任を取るということは、過去に約束した、過去、現在よりもより良くする、あるいは悪化させないということに対して、それが果たせなかったという結果を招き、それに対してけじめをつけることである。
私はかつて、責任の取り方について、二つのことを述べた。
『私の責任の取り方』の中で、『私は、責任を取るとは、辞めること以外にないと確信している。』と書いた。
一方、それに対し『辞めることで責任は取れない』の中では、『責任を取るとは、自分が償い、地位が下がっても、これまで以上に報いることである。例えば、部長から一般職になって、給与を半減しても、これまで以上に頑張ることである。それこそが、責任の取り方だ。』だと書いた。
この二つは、矛盾していない。
責任を取って辞めるのは、トップのみが行う責任の取り方である。それより下の責任の取り方は、辞めれば済むというものではないのだ。
責任を取るというのは、簡単に言えば、けじめをつけることである。失敗を認め、未来への約束を果たせなかったことに対し、償うことである。
責任というのは、とても重い。
未だ見ぬ未来に対して、過去、現在よりもより良くする、あるいは悪化させないということに対し、コミット(約束)するというのは、簡単にできるものではないのだ。
だが、その役割に応じて、その責任という約束をしないようでは、頼りが無いということである。だから、責任を逃れようと、責任を負わないような人では、誰が信用できようか。
ましては、組織のリーダーなら、自ら進んで責任を持つ気概がなければならないのは、当然なことである。
だからこそ、一方で、軽々しく責任を取るなどと言うことを言うものではない。責任を取る前に、何としても、やりぬく、何とかすることを全力でするべきである。その上で、自分の限界を認めた時、けじめをつけるのだ。
責任というのは、とても重い。
それは、どんなにこうして説明しても、その地位に立った人でないと判らないであろう。
ならば、このブログを読んでいるリーダーは、軽々しく責任という言葉を発するべきではない。それは、自分の責任に対しても、他の者の責任に対してもだ。
責任とは、未来への約束なのである。未だ見ぬ未来を開拓するということは、誰しも難しいということである。
だが、それでも、リーダーならば、責任という言葉を簡単に用いずも、未だ見ぬ未来を開拓するという約束ができなければならないのである。もっと言えば、未来を開拓できない、開拓しようとしない人は、リーダーではない。つまり、責任を負う能力がないということ。
あなたは、何の確証を持って、未来に約束ができるか。
確証がなくても、やり遂げようとする覚悟はあるか。
途中で投げ出さない意気込みは十分か。
それを未来に向けて約束できるか。
それが責任である。
私は、未来を切り開く。自信を持って。それが私の責任だ。それができなければ、私は、私流のけじめをつける。
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